バザールの歩き方
ABCとはさまざまな物事の初歩を示す言葉だが、ネット人口が今よりずっと少なかった二年前に、やはりネット上の初歩的な言動マナーをめぐってABC三者の功利的バランスを測定する思考実験がwebで流行したことがあった。
「ネット上の往来の少ない場所でAさんがひっそりと綴っていた日記に、賑わっている人気サイトのBさんがリンクを張ったせいで、急増したアクセスに驚いてAさんが日記を閉じてしまい、それまでひっそりとAさんの日記を見守っていたCさんが二度と読むことができなくなった」というのがその設例で、提言者の松谷創一郎はBさんが「儀礼的無関心(市民的無関心)」を払ってリンクしないべきではなかったのか、という問題提起を行って論議を呼んだ。この設例では「誰も幸せになっていない」事態を引き起こしたのがリンク行為だったので、議論はネットにおけるlinkabilityとそれを制御する技術論の方向へ発展し収束したのだが、後に社会学者の北田暁大が「ネットにおいて可能な公共性をめぐる倫理的な問題提起」だったと捉え直し、この問題は幽霊のように繰り返し回帰してくるはずだと述べたのはとんでもなく正確だった。
その後、匿名のネットワーカーがコメント欄に殺到したり、サイト運営者の実名を暴いたりしてサイトを閉鎖に追い込むという暴力的行為がネット上で発生し、「ブログの終焉」という大袈裟な言葉まで取沙汰されるに及んで、問題のより基底近くに、リンク行為の是非よりもはるかに一般化された問いが横たわっているのが、多くの人々の目に明らかになったからだ。すなわち、「他人の自由や権利を侵害していない人間を、人的資源や情報資源を極端に集中させるという圧力によって排除し、その表現の自由や権利を侵害する権利が、果たして排除する側にあるのだろうか」という問いである。この根底的な問いに向き合うには、「儀礼的無関心」という概念をその近傍にある「慇懃な無視」(リチャード・ローティ)にあらかじめ置き換えておくと思考に弾みがつきそうだ。
(続く)
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