生き埋められたものは鼓動する

強盗が人質をとって一週間も銀行に立て籠もったら事件だが、監禁された被害者が銀行強盗に心情的に肩入れしてとうとう結婚にまで至るというのも、ちょっと立ち止まって考えたくなる事件だ。それを機に、ストックホルム症候群と呼ばれるようになった被監禁者の監禁者への心理的な依存は、127日に及んだペルー日本大使公邸占拠事件では逆方向にもたれかかって、監禁者たちが被監禁者の射殺を遂行できない状況を生み出したらしい。こちらはリマ症候群と呼ばれるようになった。


けれども、そんな特殊な心理状態を通過したからという理由だけで、人質の一人の発言が軽んじられるべきではないだろう。強行突入直後、武力行使の成功に沸き立つ人々の狂熱の中で、射殺されたゲリラ組織メンバーの死をも悼むべきだという声が押さえ込まれる様子はあたかも「魔女狩り」のようだったと、人質の一人は著書で述べている。「魔女狩り」的な付和雷同の嵐から数年後、投降したゲリラ兵士を「処刑」した特殊部隊の暴挙はとうとう裁判にまで発展したと聞くが、その余は知らない。


テロについて語るとき、人々はしばしばテロリズムを支持しないと良識を明らかにした上で口を開く。語り出すそれぞれの言説に違いがあるのは、現実が多数的なのだから当然なのだが、それでも群集心理の俗情がテロの不安を払いのけるのに不都合な言説をことごとく排除しようと躍起になるのは痛々しい。テロは字義通り、人々が偶然その標的となるごくわずかの実現可能性によってではなく、これまでも潜在的にあったその実現可能性の冷静な再認識をあたかも未知の脅威であるかのように恐怖させるという効果によって、人々の言動を支配する機制である。したがって、テロ後の言論に見られる「魔女狩り」はテロへの抵抗ではなく、被害者側の多数者によって代行されたテロの継起的プロセスであると言うしかない。テロの犠牲者の生命の尊さを云うのなら、彼らの血が乾かないうちにどのような歴史が過去に動き出したのかを、人々は胸に刻んでおくべきだろう。検証すべき不自然な痕跡が多々ある大韓航空機爆破事件(1987)は大統領選挙のさなかに起きて軍部出身の大統領を誕生させたし、テロの情報を故意に黙殺したアメリカ政府は9・11後にイラク戦争を引き起こして軍産複合体を潤わせた。多数者にもたらされるニュースは、massの一人として動員されるためにではなく、動員操作のダイナミズムを読み取るために存在するのである。


暴力によってもたらされた不安を解消するために、大衆がより大きな暴力を行使できる権力に服従することの危険を、政治を読むことのできる映画監督や文学者はこれまで繰り返し警告してきた。四半世紀前にドイツである政治映画を共同制作した九人は、こんな声明を発表している。

テロリストに対する社会のヒステリー状態、シンパに対する無差別な迫害、既成の秩序に対するいかなる批判をも罪悪視し、威嚇する風潮が支配的であり、管理体制や検閲制度がますます強化される傾向がある。さらにまた何よりも、テロリズムファシズムとの神聖ならざる同盟への恐怖があるので、我々の国の民主主義に問いかける映画を共同製作したのである。『秋のドイツ』作品紹介より

(続く)




ハインリヒ・ベル小品集

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アンティゴネーの主張―問い直される親族関係

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