59年の犬を探して
『革命的な、あまりに革命的な』を知的興奮をもって読了したからといっても、これらの史実が自分の生年以前の過去のものだということを忘れるほど冷静さを失ったわけではないし、かといって現在著者が形成しているだろうある党派に追従しようと思い立ったわけでもなく、ましてや未来への革命の志をやにわに抱いて奮い立ったわけでもない。
ただ読んでいるうちに、ぼくが久しく探しあぐねている「59年の犬」がこの書物のあちこちを駈け回っているらしいことがわかったので、胸を躍らせてページをめくり途切れがちな足跡を追いかけたのだった。
たとえば、大江健三郎『われらの時代』が取り上げられている第Ⅰ部第四章は見逃せない。59年に発表されたこの小説は、大方の悪評に逆らって「ほかの作品は棄ててもこれだけはのこしたい」*1とまで当時の著者に言わしめた重要な長編であったのに、先頃何らかの理由で著作目録から抹消されたという噂*2も手伝って、文学史から徐々に消える運命を甘受しつつあるように見えた。それを『革あ革』(こう略すらしい)は、同時代の心性と激しく共振し、60年安保のニューレフトの誕生を促し、続く68年革命をも射程におさめた重要な小説であるとして、勢いよく舞台に引っ張りあげている。ぼくもこれを機会に、同小説内の「59年の犬」をここに引っ張ってくることにしよう。
「おれはじつに沢山の犬を見たよ」となんだかほっとして靖男はいった。「ここへくる途中で野犬を沢山見たんだ。駅の昇降口にいっぱい寝そべっていて通行人を眺めてるのさ」
「電車にも乗りこんできた?」
「あ?」とびっくりして靖男はいった。
「冗談かと思ったんだ」と弟があやまっていった。「ほんとうに、そんな場所に犬がいたの」
「公衆便所の植込みとか、駅の階段に寝そべっているんだ」(大江健三郎『われらの時代』)
残念なことに、靖男は犬の話を「つまらない話」だと自嘲してそれ以上は語ってくれない。小説においても、この非現実的な野犬の群れがどこから来たのかは最後まで書かれずじまいなのだが、59年という年号に執着してみれば、別の小説の幕切れに騒々しく闖入した犬の群れと関連があるのではないかと疑いたくもなってくる。
玄関の扉があいた。ついで客間のドアが、おそろしい勢いで開け放たれた。その勢いにおどろいて、思わず鏡子はドアのほうへ振向いた。
七疋のシェパァドとグレートデンが、一度きに鎖を解かれて、ドアから一せいに駈け入って来た。あたりは犬の咆哮にとどろき、ひろい客間はたちまち犬の匂いに充たされた。(三島由紀夫『鏡子の家』)
もちろん同じく犬の群れが描かれたという理由だけで、『鏡子の家』と『われらの時代』を短絡させて虚構間妄想を逞しくしようというのではない。直叙的な表題を持つ前者と同じく、後者も「時代を描こう」とした小説だからなのだろう。この両作品はいたるところで分かちがたく現実の社会状況と結びついているのである。しかも犬という記号とともに。
三島由紀夫が大江健三郎より10才先行しているという生年の順序は、同年に発表されたこの二つの作品においては、特に看過ごすことができない。『鏡子の家』の中心にいるのは、敗戦を20才前後で迎えた世代である。小説では、この「戦中派」の人々が焼野原と瓦礫の光景へ兇暴な郷愁をにじませる様子が描かれ、その頽廃の根城だった「鏡子の家」の客間を犬の群れが侵犯することによって、ある時代を終わらせている。続く『われらの時代』の中心にいるのは、60年安保前夜を20才前後で迎えた世代である。小説では、その「戦後派」の人々が不穏当な手段で閉塞状況を脱しようとしてことごとく挫折する様が描かれ、背景の物騒な社会に野犬の群れが遍在していることが描き込まれている。新時代の胎動を伝えるこの時期に、危機の予感をともなって現れた犬の数は一匹や二匹ではない。
文学史に目を向けても、三島由紀夫が世評に報われなかったその小説で描いていたのが54年から56年の一時代であったことを思えば、翌57年に大江健三郎が新世代の旗手として頭角を現したという文学史と、そのエポックとなった処女作が「犬殺し」を描いた『奇妙な仕事』であったという事実は、作中の犬の群れの吠え声以上に読者の耳目を欹てずにはおかないだろう。いったいこの犬の群れは何ものであり、どこから来てどこへ向かおうとしていたのだろうか?
群れがどこから来たのかは定かではないが、そのうち一匹の行方は、数冊の随筆がしっかりと尻尾をつかんでいる。三島より年少で大江より年長のある闘争的な保守論客が、『犬と私』という生彩に富んだ可憐な随筆の書き手でもあったことを、この国の人々は記憶しているだろうか。驚いたことに、あの江藤淳が犬を飼い始めたのもやはり59年(!)なのである。
これは冗談ではない。江藤淳にとって、黒のコッカー・スパニエルが単なる愛玩動物以上の存在だったことは、随筆をはじめ多くの証言からはっきりしているが、その犬への惑溺が、江藤流ナショナリズムの核心に意外に深く立ち入っていることも、今後の入念な研究が明らかにしていい事柄だろう。江藤淳のターニング・ポイントとなったアメリカ滞在中の見聞記には、あるイタリア系移民の医師がアメリカ文化に同化するためにアイルランド系の母を裏切って改宗したことが原因で、犬を抱いて車の中に閉じこもってしまう様子が印象的に描かれている。その移民二世は、母への罪悪感と文化的アイデンティティの喪失の二つに苛まれて、犬を愛することしかできなくなったのだという。
従って、帰国後に書かれた『成熟と喪失』で「母の崩壊」が論じられ、やがて45年の敗戦によって喪失した「日本人のアイデンティティ」の回復を訴えるという江藤淳の批評家としての道筋は、かなり早い時期から、犬という家族ならざる家族を伴って試し歩きされていたと言えるだろう。
こうして飼主に引かれて45年という特権的な年号へ舞い戻った「59年の犬」は、そこで江藤淳が鬼気迫る情熱のもとに、GHQの施策を細密に検証した最重要の著作*3を完成させるのに立ち会うことになるのだが、その後の消息がふっつり途絶えていることから考えると、どうもぼくの見るところでは、そのまま45年の特権的な死者たちに首輪の鎖を繋がれて、棄て犬にされてしまったような気がする。
というのは、家族論をそのまま同心円状に国家論へ拡大して、45年の死者たちを媒介にして国民的アイデンティティを疎外論的に確立しようという江藤流ナショナリズムが、今なおこの国において保守の論調を規定しつづけているからだ。しかもそこでは、疎外論的ナショナリズムの不可能性として随伴していたはずの犬という記号はおろか、江藤淳の仕事すら満足に引照されないまま、あたかもそれが「新しい」ものであるかのように繰り返し回帰するという不自然な現象として、人々に行き渡っているのである。90年代に歴史主体論争として再現されたこの繰り返しは、現在も靖国神社問題として執拗に立ち現れているのだから、抑えようのない既視感が、45年の地点に棄てられた「59年の犬」を、魅入られてはならないものに魅入られて石化したかのような靖国神社の一対の狛犬と二重映しに見せてしまうのもやむをえないだろう。
ここまで追ってきた犬という記号の複雑な連関を、出来合いの単純な図式に還元するつもりはない。けれども、アメリカに対する従属/独立という国家的緊張のもとに、安保闘争においては飼犬→野犬という進行があり、ナショナリズムの再興においては45年へ向かって飼犬→棄て犬という遡行があったというラフスケッチを思い描いて、ぼくはいまだに「59年の犬」が出没しそうな界隈*4で待ち伏せをしている。見失ったこの犬が、いずれ日本の言説のどこかにひょっこり姿を現すような予感がしてならないのは、ひょっとしたらこの国が途轍もなく長い鎖をつけてこの犬を飼っているからなのかもしれない。
あるいは、少しばかりの思考の自由をもってこう考えることもできる。「59年の犬」が犬としての姿を見せなくなったのは、この犬という記号の連関を覆い隠すようにして不自然に拡大する何ものかに、数十年をやすやすと越えるほどの永すぎる鎖で、この国の人々が繋がれつづけているからなのかもしれない、とも。
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